ニクヤキスタが料理人を志したのはいつだろうか?
たぶんサラリーマンを辞める前年の秋あたりだったような気がする。
その年の夏に突然首が動かなくなり、緊急入院。原因は不明だったが頚椎の周辺?が炎症を起こし、顎すら満足に動かない状態になった。退院時、担当医からは珍しい症状だけれどウィルス性でないのでたぶんストレスが原因じゃなかろうか?と言われた。
そうなんです。当時勤めていた会社の営業所の所長という役職に就いてから、その責任の重さと数字の上がらぬストレスを抱えていたのは事実で、不向きな仕事と自分より年上で役職もかなり上の取引先の方々との交渉などにいつも胃の痛い思いをしていたのでした。しかし営業所の同僚やサポートしてくれる他部署の方々、本社に戻れば元同僚や先輩、後輩など、周りに良い人たちがいっぱいいるし、会社に対しての愛着もひしひしと有った中での決断だったのは、その時の入院がきっかけだった事は間違い無いと思う。
何かに突き動かされるように自分の中で決断したのは、あることを思い出したから。大学を卒業して就職するとき、会社にお世話になるのは30歳まで、それ以降は組織のようなものからは独立して生きていこうと、何になるかはわからないけど、漠然とそう思った。そのことを思い出したからだった。
さて、では今後会社をやめて何になろうか。何をして稼いでいこうか。と考えた時に選択肢は二つあった。一つは車。イタ車が好きでアルファロメオの旧車に乗っていたこともあり非常に魅力的な選択に思えた。二つ目は料理。イタ車好きが高じてイタリアの様々な文化に興味が芽生え、歴史読み物や料理の本なども読み漁っていた頃だったのでこれも捨てがたい。結局料理の道に進んだのはシェフになるまでのロードマップがイメージしやすかったから。
イタリア車に関わる仕事はどうもイメージしずらかった。実は二十歳頃オートバイでサーキットを走っていた(練習だけ)こともあったので、乗り物に関しては今も好きだし、ワクワクもするのだけれど現実味が湧かなかったというかなんというか・・・
その点料理はっていうと母親が料理上手で、勤めていた会社を早期退職して小料理屋を開いちゃったという(笑)、そんな家族がいたもんでめちゃくちゃ現実味があった職業なのであった。
続く
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